MENU



「当たり前のこと」ができている案件は、意外と少ない

読了目安:約8分

音楽、映像、デザイン。複数の分野を一人でまたいで制作をしていて、ずっと感じてきたことがあります。世の中の案件を見ていると、「当たり前のことができている」だけの案件が、意外と少ないということです。

私は基本的に一人で全部の工程を担当します。だから意思決定が速く、本当に大切なことを優先できます。関係者の数だけ発生するはずの、それぞれの立場の事情や忖度が、そもそも存在しません。誰かの顔を立てるための妥協や、部署間のバランスを取るための足し算引き算が発生しないので、結果として、当たり前のことが当たり前のまま守られやすいのだと思います。

もちろん、これには弱点もあります。完成までに人の目に触れる回数が少ないので、ミスが残ったまま世に出てしまったり、もっと工夫できたはずの部分に自分では気づけなかったりします。ただ、正直に言うと、このデメリットは、多くの案件で「当たり前のことすら守られていない」という現実と比べると、かなり軽いものに感じます。


特にこれを強く感じるのは、下請けの立場で仕事をしているときです。

本来リリースするコンテンツの内容そのものとは関係のない指示を受けることがあります。おそらく社内政治が絡んでいるのだろうと感じる場面です。継続して案件をもらうために、発注を採択する立場の人が見たときに最も評価されやすい方法で、コンテンツを作り上げる。そうすると、本来届けたいはずのターゲット層から見ると、なぜこの構成になっているのか不可解に感じるセクションが生まれます。突き詰めれば、これは視聴者にとっての機会損失につながっているはずです。

ただ、ここで一つ視点を変えると、話はそう単純でもありません。もしその案件自体が発注されていなければ、そのコンテンツはそもそも世に出ていなかったはずです。だとすれば、採択する立場の人に向けて作ることの方が、コンテンツが存在しないという最大の機会損失を避けるという意味では、実は最も合理的な選択なのかもしれません。

さらに言うと、「ユーザーが本当に求めているもの」を自分が正確に見立てられているかというと、それも怪しいものです。作り手が信じている「これが正解だ」という感覚が、実際には見当違いだった、ということも十分にありえます。何が本当に正しい選択なのか、これに関しては、正直まだよく分かっていません。

それでも一つだけ、確信を持って言えることがあります。自分が信じたものをそのまま形にして出せたときは、それが評価されようとされまいと、素直に幸せを感じるということです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次