読了目安:約8分
「ミックスが上手い曲」と「素人っぽい曲」の違いについて、実はまだ自分の中で考えがきれいに筋道立っていません。それでも、いくつか確度の高い手応えのある考えがあるので、一度並べてみます。
まず大前提として、聞き手のほとんどはミックスを気にして音楽を聴いていません。オーディオ好きの人や、楽器を少しでもやったことがある人ならまだしも、一般的なリスナーは、ベースの音が鳴っていることにすら気づいていないことがあります。ミックスの巧拙は、そもそも大半のリスナーの評価対象にすら上がっていないのです。
だとすると、「上手いミックス」とは何なのか。私は、音質の粗さが気になって、曲が本来伝えたかったことにリスナーが辿り着けない、という事態を起こさない状態を作れることだと考えています。逆に下手なミックスは、この状態を作れていない。裏を返せば、このボーダーラインさえ越えていれば十分で、実はそこまで極端に下手なミックスというのは、世の中にそう多くありません。ある程度ちゃんと音が重なって出ていれば、大抵は「揃って聞こえる」ところまではいきます。
ここから先は、一般的な基準というより、私個人の好みの話になります。
私が「上手い」と感じるミックスは、周波数帯の棲み分けだけでなく、リリースタイムのコントロールに宿っていると思っています。空間をどう演出するかが肝心で、音の余韻がどう残り、どう響くかを丁寧にコントロールしている音源に、強く「上手さ」を感じます。次の音のトランジェントのために、あえてリリースを短く切ったり、逆に音を重ねて倍音を豊かに響かせたり。そこまで細かく設計されている音源は、聴いていてわかります。
具体的に挙げると、カリードの「Talk」や、ゼッドの「Good Thing」は、そうした意味でとてもミックスが上手いと感じます。
もう一つ、最近ずっと気になっていることがあります。日本国内のミックスは、全体的に空間が狭いということです。声が近い。私はどちらかというと、アメリカのミックス思想が好みです。とにかく音像が広い。UKには、曲のセクションごとにミックスの質感自体が変化していくような文化もあって、これも嫌いではないのですが、私が一番惹かれるのは、やはりアメリカの広さです。
そして、この広い音像を志向している日本のアーティストは、あまり見かけません。私自身は、広いミックスを心がけて作っています。が、あまり好かれていなくて、クライアントからリバーブを抑えてと言われることも多々あります。
なぜこの違いが生まれるのか、正直まだ答えが出ていません。国土の広さが関係しているのか、使われている機材の傾向の違いなのか、それとも単純に音楽文化としての好みの蓄積の違いなのか。おそらく、どれか一つではなく、いくつかの要因が複雑に絡み合っているのだろうと思っています。この部分については、また考えがまとまったら、続きを書きたいと思います。
