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大学4年の春、私は個人で曲を作る仕事を始めました。最初の値段は1曲2万円です。きっかけは、週に6回人前で歌っていた路上ライブとライブハウスでした。
『何者』を読んだ記事で少し触れた、就活をしなかった側の私が、どうやって収入を作ったかを書いてみます。
週に6回、人前で歌っていた
20歳のころから、路上ライブを週に3回やっていました。それとは別に、ライブにも週に3回ほど出ていて、合わせて週に6回ほど、人前で歌っていました。それを20歳、21歳、22歳と、3年ほど続けています。
路上ライブで歌っている人を見かけたら、話しかけて知り合いになる。その人のつながりでライブに呼ばれ、そこでまた別の人と知り合う。その繰り返しで、人の輪が広がっていきました。
ライブハウスに行く目的は、2つあった
振り返ると、ライブハウスに行く目的は2つありました。ひとつは、ライブでファンを集めること。もうひとつは、ステージの袖にいる人たちに、自分の曲をアピールすることです。
袖にいる人たちの中には、オリジナルの曲がないけれど、人前で歌いたいという人がたくさんいました。3年目になると、私は作詞、作曲、編曲をして、CDを出せるくらいのスキルがついていました。そこで、「こういう曲を作っていますが、いりますか」と聞いたら、「いる」という返事がもらえたのです。
値段は、自信を持てる金額まで上げていった
最初の値段は、1曲2万円でした。そこから、曲のクオリティが上がって、自信を持って言える金額になったら、少しずつ上げていきました。2万5,000円にした時期もあります。3曲まとめて頼みたい、と言われたときは、その場で話し合って値下げしたこともありました。
22歳の5月、大学4年の頭に、最初の依頼が取れました。そこから「あいつ、曲が書けるぞ」と広がって、全員が自分の曲を歌うライブハウスのイベントまでありました。そのころには、1曲3万円で、月に10曲ほどの依頼があり、月に30万円くらいの収入になっていました。
バイトを、秋に一気に辞めた
当時は、バイトを3つ掛け持ちしていました。大学の授業のアシスタント、早朝のコンビニ、塾講師のバイトリーダーです。それを、9月ごろに、一気に辞めました。それからは、今までずっと、この方面の仕事を続けています。
余談:就活の時期と、ずれていた私
同級生が就活を始める大学3年の末に、私は就活セミナーに一度だけ行って、途中で抜け出しました。自分の手で稼ぐ道を切り開いてみようと思ったのです。
就活の時期は、緊張感のないやつと軽くあしらわれました。みんなの就職が決まってからは、みんなは遊ぶ時期になり、私は先がないので作曲を続けていて、足並みがそろいませんでした。卒業旅行は、仲間と海外へ行けました。頑張らないといけない時期が、みんなより少し遅くきただけです。


