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SNSを眺めていたら、アイアンマンのジャービスのようなAIアシスタントを作って、その日AIで稼いだ金額を音声で読み上げさせている動画が流れてきました。見ていて、これは非効率だなと思いました。金額を音声で読み上げている間、質問した本人は特にすることもなく待っているだけです。スプレッドシートかグラフで見せた方が、よほど速く伝わります。
おそらく、AIを使ったアプリ開発の様子を発信して、そこから情報商材につなげる流れの一部なのだと思います。ただ、ここで一つ矛盾に気づきました。効率化を売り物にしているはずなのに、その実演自体が、あえて非効率な形で演出されているのです。
これはAI系の発信に限った話ではないと思います。もっと一般的に、「手間や過程を可視化すること」自体が、それ単体でコンテンツとして成立してしまう、という構造があります。
実際の効率や、実際の中身の良し悪しよりも、目に見える形で手間がかけられているかどうかの方が、判断材料として使われやすい。これは、以前デザインの仕事で経験した、情報量の多い案の方が選ばれやすいという話とも近い構造です。見えている手間の量が、そのまま信頼や評価の代わりに機能してしまうのです。
だとすれば、本当に効率的なもの、本当に質の高いものほど、その過程は見えにくくなる、ということも起こりえます。効率的であることは、無駄な手間を削ぎ落とすことでもあるので、削ぎ落とした結果は、外からは地味に見えてしまいます。逆に、非効率なやり方をあえて残しておいた方が、傍目には「頑張っている」ように映る。効率化を謳う発信ほど、非効率な見せ方に頼らざるを得なくなるという逆説は、たぶんここから生まれています。
これを考えていて、自分の作業スタイルについて、改めて思うことがありました。私は、誰かに見せるための過程よりも、静かに完成させることの方が性に合っています。良いものができれば、それは黙っていても伝わるはずだ、という考え方に近いのかもしれません。マーケティングのスペシャリストからは怒られそうな理論ですけどね。
これは優劣の話ではなく、単純に自分の性分の話です。目に見える手間を演出することが得意な人もいれば、そうでない人もいる。私は後者で、これからも多分そうなのだろうと思います。

