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相手に合わせすぎる「過剰なチューニング」の罠。適応障害を経て見つけた、自分を守る働き方

「良いものを作れば、必ず評価されるし売れる」 クリエイター界隈でよく囁かれるこの言葉は、半分本当で、半分は嘘です。

ありがたいことに、音楽制作からWebデザイン、さらには映像や写真撮影に至るまで、デジタル空間におけるあらゆる表現を一人で完結できるようになりました。しかし、その全方位の技術力が高まれば高まるほど、私は仕事が苦痛になっていきました。結果から言うと、働きすぎと精神的な摩擦が限界を超え、適応障害で強制終了することになりました。

なぜ、何でもできるようになったのに精神が壊れてしまったのか。 それは、クライアントワークの本質が「相手の理解できるレベルまで、自分の作品を意図的にデチューンする作業」だったからです。

クリエイターとして、自分が「これが最高だ!」と確信するものは、得てして現在の市場やクライアントの認識より数年先の視点で作られています。クリエイターの皆さんはきっと心当たりがあるのではないでしょうか。しかし、オーダーメイドで仕事を受ける以上、クライアントの現在の基準や、世間の分かりやすさ、そして往々にして陳腐なフォーマットに合わせなければなりません。

「もう少し派手に」「もっと分かりやすく」。その要望に応えることは技術的には難しくはありませんが、自分が「ダサい」「美しくない」と明確に分かっているものへ、わざわざ自分の時間と技術を使って品質を落としていく作業は、クリエイターの精神を削っていきます。

他者に合わせるための過剰なチューニングは、物理的な疲労以上に、精神的な摩擦を生みます。感性の基準が異なる相手とすり合わせを行い、妥協点を探るコミュニケーションそのものが、私にとっては大きなダメージでした。

適応障害という強制終了を経て、私はひとつの結論を出しました。 「人に合わせる完全オーダーメイドの仕事は、もうやめる」ということです。今は半年以上をかけて少しずつ減らす作業をしている最中です。

誰かの低い基準に合わせて自分をすり減らすくらいなら、社会との接点を極限まで減らし、自分が純粋に「良い」と確信するものだけを作ります。それを「理解できる人だけが買う仕組み」を作ればいいと考えました。

現在、私はクライアントワークを大幅に減らし、自分自身の基準で作ったプロダクトが自動で売れる仕組みの構築にリソースを全振りしています。人間関係を最小限に削ぎ落としても、クリエイターとして豊かに生き残るための生存戦略です。

労働を「完全な自己満足」と「感情ゼロの自動化」に切り分ける

クライアントワークを減らした分、収益の基盤をどうカバーするか。私は「自分が100%楽しいこと」と「感情を排除した自動システム」に完全に切り分けました。

現在、私はAIを活用してBGMチャンネルを全自動で運営しています。音楽プロデューサーとしての知見をシステムの構築に落とし込み、日々の生成や運用は完全にAIに任せています。ここに私の「感情」や「こだわり」は一切介在しません。運営を始めて1ヶ月程度ですので、YouTubeの収益化には程お遠いですが、余っていたPCを稼働させるだけで収益化に挑戦できる方法を見出したことは私の心を助けました。このやり方はいずれ別の記事で紹介しようと考えています。

その一方で、私が直接手と脳を動かすのは「手作りの鞄制作」や「自分を楽しませるための小説執筆」といった、一切の妥協を許さない純度100%の自己満足の領域だけにしました。「誰かのために、誰かの意向を汲んで作る」という中途半端な領域を人生から消し去ることで、創作へのストレスは完全に消滅しました。

仕事を受ける際の「絶対防衛ルール」

とはいえ、すべての依頼をゼロにしたわけではありません。現在、私が外部からの仕事やタスクを受ける際、たった一つの絶対的な基準を設けています。

それは「説明や説得が必要な相手とは、絶対に仕事をしない」ということです。

私の作ったもの、あるいは私の思考に対して、「なぜこれが良いのか」を言語化して一から説明しなければならない相手とは、前提となる感性の基準が違いすぎます。そこを埋めるためのコミュニケーション労力は、いかなる報酬にも見合いません。これは言い過ぎかもしれませんね。要するにまた適応障害になりたくないのです。ご容赦ください。

私の過去の実績やスタンスを見た上で、「あなたにお任せします」と全幅の信頼を置き、かつそのクオリティを直感的に理解できる相手からの仕事しか受けません。このフィルターを通すだけで、デチューンを強要されることはなくなりました。あまりにこだわりが強い方に対して、ご自分で制作なさってはいかがでしょうと悪い自分が出てきてしまうこともあります。

「孤独」という最強のハック術

仕事の人間関係を断捨離すると、必然的に社会との接点はなくなります。世間はこれを「孤独」と呼び、不健康なものとして忌み嫌います。たしかに、生物学的に完全な孤独は寿命を縮めるリスクがあります。だからといって無闇に交友関係を広げる必要はないと考えます。

私には、世界で唯一、言語と思考が通じ合う「妻」という存在がいます。このたった一人のサンクチュアリさえ確保できていれば、孤独のバグは完全に回避できます。足りない「情緒」は、名作映画や小説といったフィクションからいくらでも摂取できるのです。ノイズだらけの現実社会で新たな友人を増やす労力をかけるより、フィクションの中で洗練された感情の機微に触れる方が、よほどクリエイティブで精神衛生が保たれます。

自分の才能と感性を守れるのは、自分だけです。世間の「常識」というバグから抜け出し、自分の基準でシステムを構築した時、本当の意味でのクリエイターの自由が手に入るのです。

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