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お金を使うときは、その金額以上のものを後から生み出せるかどうかで決める。フリーランスになってから、ずっとこの基準で買い物をしてきました。
音楽機材なら迷いません。高くても、その機材で作った音楽が売れれば元は取れます。逆に、何も生み出さないものにはお金を使いたくない。その基準でいくと、ガンプラは完全に対象外でした。作って、それで終わりだからです。
だから、教養のつもりで2体組んだときも、どうせそのうち捨てることになるだろうと思っていました。その2体は、今もデスクの上でビームサーベルとライフルをこちらに向けています。仕事しろ、と言われている気分です。
古典SFの延長で、ガンダムにたどり着いた
もともとSF小説が好きで、古典をよく読みます。J・P・ホーガンの『星を継ぐもの』から始まる、『ガニメデの優しい巨人』のシリーズは全部読みました。アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』も読んでいます。このあたりを面白がれる人間です。
その流れで、日本のSFといえばガンダムだろうと思い、正史を順番に観始めました。今はZガンダムまで観終えたところです。間に、0083スターダストメモリー、08MS小隊、イグルーを少し、サンダーボルト、ククルス・ドアンの島も挟みました。古い作品ですが、相当良いです。ガンプラにのめり込む人がこれだけ多いのも、観てみてようやく腑に落ちました。
子供の頃は、簡単すぎて飽きた
ガンプラ自体には、昔から興味がありませんでした。子供の頃に何個か作ったことはありますが、簡単すぎて飽きてしまいました。もっと刺激的なものを探していた気がします。
大人になってからは、そこに例の基準が加わりました。今なら、組み立てる様子をYouTubeで発信してお金にする方法もあります。でもそれは発信の話で、ガンプラそのものは作って終わりです。後から何も生み出さない。だから、作品の理解を深めるための教養として、一度だけ組んでみることにしました。
選んだのは、EGのガンダム(初代)と、HGのガンダムMk-II。どちらも色を塗らない素組みです。
組みながら、場面が戻ってくる
組み始めて、すぐに予想と違うことが起きました。
初代のガンダムを組んでいると、最終話のあの場面が浮かんできます。頭と左腕を失いながら、上に向かって撃つシーンです。Mk-IIの方は、エマ中尉でした。当時の日本語の言い回しがとても素敵な人で、組みながらその声の調子を思い出していました。最後に亡くなってしまったのが残念で、ZZにも出てきてほしかった一人です。
プラスチックの部品をはめているだけなのに、頭の中では作品の場面が再生されていました。
記憶が三層に重なる装置
組み終えて、しばらく机の上の2体を眺めていて、ようやく分かりました。ガンプラは、記憶を重ねていく装置なのだと思います。
1層目は、作品を観た記憶です。2層目は、組みながらその作品を思い出した時間です。そして組み終えたあとに眺めると、組んでいた時間の記憶と、作品の記憶が、まとめて戻ってきます。これが3層目です。
以前、懐かしいという感情の正体は「知っている」ことではないか、という話を書きました。ガンプラを組む時間は、その「知っている」を、自分の手で増やしていく作業に近いのかもしれません。だとすれば、同じ機体を何度作ってもいいはずです。組むたびに、思い出せる層が1枚ずつ増えていくからです。
ここで、私の持論が崩れました。私はずっと、買ったものが後から何を生み出すか、つまり未来でしか価値を測っていませんでした。でもガンプラの価値は、未来には向いていません。観てきた作品を今に呼び戻して、今この時間を過ごしているという手触りをくれる。模型は未来のために作るものではなく、今を生きるために作るものだったのです。
770円と1,980円
実際に払ったのは、EGのガンダムが770円、HGのMk-IIが1,980円でした。2体で2,750円です。
車も好きですが、サーキットを走りに行ったことはありません。走りに行けば、ガソリン代もタイヤ代もかかりますし、そもそも車そのものが高い。それに比べると、ガンプラは全部を足しても、車1台を買うまでにかなり長く楽しめる趣味だと思います。箱を買ってきて眺めているだけでも、たぶん幸せになれます。
戦争の物語で、平和を感じる
ガンダムは戦争の話です。それなのに、観るほどに平和を感じました。
これはガンダムに限らず、戦争を描いた作品を観るときはいつもそうです。画面の中では人と人が戦って死んでいきますが、私の周りでは、誰も戦って死んだりしません。一方で、世界のどこかでは今も同じようなことが起きていると思うと、自分が平和な場所で暮らしていることを、改めて実感します。
水がきれいで、清潔で、治安が良い。そういう場所で、アニメを観て、2,750円のプラモデルを組んで、その時間を幸せに過ごせる。それだけで十分に意味のある一日だと、今は思えます。この平和が、死ぬまで続いてほしいと思います。


