「懐かしい」の正体は「知っている」なのではないか、という仮説について

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車のゲームをやっているときに、ふと引っかかったことがあります。自分が「好きだ」と思う車は、決まって子供の頃から知っている車ばかりで、最近の車にはあまり惹かれない。性能で言えば、間違いなく今の車の方が速いですし、デザインも空力もエンジンもタイヤも、あらゆる面で進化しているはずです。それなのに、なぜか子供の頃に憧れた車を、今も同じように好きなままでいる。この差は何なのだろう、と思いました。

ゲームの中で、子供の頃好きだった車を買って走らせると、懐かしいという感情が湧いてきます。最近発売された車を買って走らせても、そういう感情は湧きません。そして、好きだと思う気持ちの有無も、この懐かしいと感じるかどうかの差と、驚くほど重なっていました。


これは車だけの話なのか気になって、他のことでも試してみました。好きな曲、好きな食べ物、好きな飲み物、好きな芸能人、好きなアニメや映画。一通り考えてみると、やはり子供の頃の影響がかなり大きいという結論に、毎回行き着きました。

わかりやすいのはアニメの主題歌です。大人になってから見て好きになった作品はいくつもありますが、その主題歌自体は、そこまで強く好きという感情を持てません。一方で、小学生の頃に一度(1周)しか見ていない「ドラゴンボールGT」のオープニング「DAN DAN 心魅かれてく」は、聴くと今でもぐっと来ます。懐かしいという感情と同時に、当時の空気感まで思い出されます。「この曲を知っている」という感覚そのものが、プラスの感情を呼び起こしているように感じます。最近では「葬送のフリーレン」が好きで3周くらい見ましたが、作画も演出も素晴らしいのに、主題歌への思い入れの強さで比べると、昔の曲の方に軍配が上がってしまいます。


ここで、車の話に戻って「好き」という感情そのものを分解してみました。行き着いたのは、その対象についてどれだけ考えた時間があるか、つまりどれだけ知っているかで、好きという感情の大きさが決まっているのではないか、ということです。

私が一番好きな車は、トヨタのスープラ(A80)です。子供の頃、テレビでたまたま見たスーパーGTのカストロールトムススープラ、赤と緑にペイントされたGT500クラスのレーシングカーに、単純にかっこいいと思ったのが最初でした。当時は「A80」という型式も知らず、トヨタというメーカー名すらろくに知りませんでした。そこから車に興味が湧いて、ゲームで遊んだり、本屋で車の本を立ち読みしたり、街で車を眺めたりする時間が増えていきました。この、自分がその車について考えた時間の積み重ねが、そのまま「知っている」につながり、それがそのまま「好き」に変わっていったのだと思います。

逆に、私には好きなはずのジャンルの中にも、まったく知らない領域があります。90年代より前の日本車、最近の車、外車、特にアメ車はほとんどわかりません。どのメーカーがどの国のものかすら怪しいです。これは単純に、それについて考えた時間がなく、知らないから、それほど好きにもなっていない、ということなのだと思います。

知っているは好き。懐かしいは知っている。だとすれば、懐かしいは好きと言ってしまってよいのではないか。分解していった結果、今のところ自分の中ではそこに落ち着いています。


この仮説は、実際の創作にも使えると思っています。自分の曲でも「これ新曲なのに、なんか好きな曲っぽいな」と感じることがあります。これを狙って作ることができるはずです。私は今30代前半、いわゆる平成一桁生まれの世代ですが、この世代が子供の頃に浴びていた音楽のエッセンスを今の曲に落とし込めば、その世代に刺さる可能性が高いはずです。懐かしい、知っている、好き、という一連の流れがあるからです。同じ理屈で、もう少し上の世代、もう少し下の世代が子供の頃に一番流行っていた音楽のエッセンスを狙って組み込めば、その世代を狙い撃ちすることもできるはずです。逆に、自分が親の聴いていた音楽から無意識に影響を受けて作った曲が、意図せず親世代に刺さる、ということも起こりうると思います。

この仮説、よければ自分のことに当てはめて実験してみてほしいです。子供の頃に見ていたアニメの主題歌と、最近見て好きになった作品の主題歌、どちらにより強く心を動かされるか。おそらく、多くの人が同じような結果になるのではないかと思っています。

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