合理的なことが正しいと思っていた。『時をかける少女』と『ハーモニー』の未来予想図に、中学の頃の疑問の答えがあった

合理的なことが正しいと思っていた。『時をかける少女』と『ハーモニー』の未来予想図に、中学の頃の疑問の答えがあった

読了目安:約6分

筒井康隆の『時をかける少女』を、ブックオフの安いコーナーで買いました。たしか200円くらいだったと思います。読書メーターでは、筒井作品の中では面白くない部類だという声を見かけていました。

映像は何度か観たことがあります。2006年のアニメ映画のほうです。原作があの筒井康隆だと知って、一度ちゃんと読んでみようと思ったのがきっかけでした。

読み終えた感想は、評判とまったく違いました。ちゃんと面白い中編小説です。あの短さで、あの密度なら十分です。

そして一番面白かったのは、ストーリーではなく「設定」でした。続けて読んだ伊藤計劃の『ハーモニー』でも、やはり心をつかまれたのは設定のほうです。最近、SF小説から未来予想図を摂取するのが楽しくて仕方ありません。今回は、その楽しさの正体を考えてみます。

目次

600年後の教育:眠っている間に賢くなる

『時をかける少女』には、未来から来た人物が、自分の時代の教育について話す場面があります。物語の舞台から600年ほど先の未来です。

そこでは、眠っている間に勉強ができて、11歳で大学に入れるそうです。

これを読んで、素直にいいなと思いました。

私は大学を出ています。それでも、もし今お金がたくさんあったら、一番やりたいことは大学に行くことです。学びたいのは心理学。ほかにも学びたいことはたくさんあるのに、働きながら学ぶ時間をつくるのは簡単ではありません。

寝ている間に賢くなれて、11歳で大学に入れるなら、人生のうちに学べる量はまるで変わります。小説の中の数行の設定ですが、自分の「足りない」と思っているところを正確に突かれた気がしました。

読書メーターの評価が低かった理由も、少し分かる気がします。筒井康隆といえば、もっと毒のある、ぶっ飛んだ作品を期待して読む人が多いはずです。そういう人には、ジュブナイル小説として書かれたこの作品は、おとなしく見えるのかもしれません。

ただ、私が読みたかったのは「毒」ではなく「未来」でした。期待していたものが違えば、同じ本でも評価は変わります。

『ハーモニー』のミァハと、中学の歴史の授業

伊藤計劃の長編3作は、いずれ全部読みたいと思っていました。『虐殺器官』は以前に読んでいたので、次は『ハーモニー』。最後に、円城塔が書き継いだ共作の『屍者の帝国』を読む予定です。映画版の『ハーモニー』はまだ観ていません。

『ハーモニー』で、登場人物のミァハが歴史の勉強について話す場面があります。

歴史が進むほど、学ぶべき出来事は増えていく。でも、歴史の授業の時間を増やすわけにはいかない。だから教える内容はどんどん圧縮されていき、そのうち授業で1分でも触れられれば「大事件」として認定されるようになる。そんな内容です。

これを読んだとき、本当にうれしくなりました。

まったく同じことを、中学生のときの歴史の授業中に考えていたからです。教科書の何百年分が、数ページで終わっていく。この先も時代は進むのに、授業の時間は増えない。だったら、いつか今の出来事も、数行で片付けられるんだろうな、と。

当時は、それを誰かと話した記憶はありません。頭の中でぼんやり考えて、そのまま忘れていた疑問です。

それが十何年も経ってから、小説の登場人物の口から出てきました。同じことを考えていた人がいたんだと思うと、孤独から少し救われた気がします。

未来の設定は、今の「当たり前」を外から見せる

2冊を読んで、SFの設定が楽しい理由が少し見えてきました。

SFの未来予想図は、当たるかどうかが大事なのではありません。未来という場所に一度立って、そこから今を振り返らせてくれる。そこに面白さがあります。

「11歳で大学」と書かれると、今の「18歳で大学」が当たり前ではなく、ひとつの決まりごとにすぎないことに気づきます。「授業で1分触れれば大事件」と書かれると、今の教科書も、誰かが何かを削って作ったものだと分かります。

普段は当たり前すぎて疑えないことを、未来の設定がわざとずらして見せてくれる。だから設定だけで、こんなに楽しめるのだと思います。

そしてもうひとつ。ずらされた先に、自分が一人で抱えていた疑問が書かれていることがあります。中学の歴史の授業の疑問が、ミァハの台詞になっていたように。そのときSFは、未来の話でありながら、過去の自分への返事にもなります。

合理的であることは、誰にとっての正義か

『ハーモニー』には、もうひとつ大きく揺さぶられたところがあります。

※ここから少しだけ、物語の核心に触れます。

物語の中の社会は、健康も人間関係も徹底的に管理された、優しいユートピアです。ところが話が進むと、そのユートピアがディストピアに見えてきます。そして、物語が向かう先のディストピアは、見方を変えれば新しいユートピアでもある。今いる場所がユートピアなのか、ディストピアなのかは、どこから見るかで入れ替わります。

一つの物事を、ここまで多面的に描けるのが素敵だと思いました。

なかでも感服したのは、「合理」と「意識」を反対語として扱うアイデアです。

私は、合理的であることが正義だと思っていました。効率的なほうが豊かだと思っていました。仕事でも、AIに動画編集を任せて作業時間を半分以下にしたり、Studio OneのエフェクターをAIで動かす仕組みを作ったりしています。効率化は、私にとってずっと「良いこと」でした。

でも『ハーモニー』を読んで、そうでもないかもしれないと思いました。

効率的であることは、それだけでは良くも悪くもありません。大事なのは、誰にとって効率的なのか。社会にとって効率的でも、そこにいる一人ひとりにとってはそうでないことがあります。何を効率化して、何を残すのか。それを決めるのは、自分の軸です。

余談:アニメ版の『時をかける少女』は、ほとんど別の話だった

原作を読んで驚いたのは、アニメ映画と主人公がまったく違うことです。

2006年のアニメ映画は、原作の続編と言われています。原作の主人公だった芳山和子は、アニメでは主人公の叔母として登場します。タイムリープという題材だけを受け取って、ほとんど新しい話として描いた作品です。

原作は1960年代の作品なので、そのままでは今の観客には古く見えます。アニメ版は、時代に合わせて主人公も空気感も作り直していました。原作を読んだあとだと、そのチューニングの上手さがよく分かります。

200円で買った文庫本で、アニメの見え方まで変わりました。次は、『屍者の帝国』の未来予想図……というより過去改変図を、楽しみに読もうと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次