実話「独学の告白」

【独学の告白#6(完結編)】独学で作詞作曲編曲を身につけて仕事にするまでの過程を綴った実話。

さあ!ついに最終回です。

独学の告白#6

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目次

専属契約

大学の卒業式。入学当時は浜松から豊橋にある大学に向かうと思っていたが、名古屋から向かっていた。電車の中では、就職先や将来の自分を想像するはずだったが、独立したために将来の不安と期待を胸に抱くことになった。私にとってそれはとても幸せなことだった。高校卒業の時に想像もつかなかった人生になりそうだったからだ。予測不能なほど面白いと感じる。常に刺激を求めているのだ。それに、大学であった周囲の人々と私は違うんだと、そう思えることがなんだか誇らしかった。

ある日、ある二人組の男性アーティストから連絡が来た。楽曲提供の仕事をガツガツやっていたため、珍しいことではなかった。しかし、その連絡が私の活動を大きく変えることになる。

彼らとは、私がまだ大学在学中にとあるライブハウスで出会った。そこで彼らは私たちのパフォーマンスをみて、とても良い評価をくれた。その彼らから数ヶ月ぶりに連絡が来たのだった。

楽曲提供をしてほしいという旨の連絡だった。ただこれまでの楽曲提供をしてきたシンガーさんたちとは違った。彼らは事務所に所属していて、その事務所の社長さんがプロデュースをしているようだった。3人チームでの運営の中で、デビュー曲を某レーベルに依頼しているが、納得いくものが出来上がらず行き詰まっていたらしい。彼らの定期ミーティングに参加するように勧められた。

ミーティングにいくと、歓迎された。先に私の作った楽曲を聞いてくれていたらしく、社長さんも気に入ってくれていたらしい。あとは、私が一緒に仕事をしていける人間かどうかを見定めるというステップだけを残して今日のミーティングに呼ばれたというわけだ。それを先に悟っていた私は、うまく対応ができた。その日に決まったのは、まずは1曲を制作してくれということだった。二人の歌声と雰囲気とコンセプトにあったものが欲しいということだった。聞いたところによると、名古屋で活動しているアーティストだが、楽曲提供は東京の人間に依頼していたらしい。きっと、細かい打ち合わせができずになんとなくの雰囲気で楽曲を制作していたために、納得のいくものができなかったのだろう。私は細かく打ち合わせをして、歌う人の生い立ち家族構成、雰囲気、趣味など様々な情報から着想を得て、それから楽曲を制作する手法以外を今まで一度もやったことがないため、わたいの制作スタイルは彼らと非常に合っていたのだった。その日に3人とも打ち解け、深いところまで知ることができた。私にとってのチャンスでもある。このチャンスを逃すわけにはいかない。そう意気込んで、私はまっすぐ家に帰った。

ミーティングの次の日から早速作業に取り掛かった。普段楽曲を制作する時間の何倍もの時間をかけて、自分のもつセンスを研ぎ澄ませて、今までで一番いい曲を作った。納得のいくものができた。数日間、微調整をして仕上げた楽曲を3人に送信した。それから数日後、連絡がきた。

楽曲を採用する。と。

第一関門突破。以前に彼らが依頼していた某レーベルは大手で、聞けば誰でも知っているような日本を代表するアーティストたちを手がけている人に制作してもらっていたのだ。それを超える作品であるということを認めてもらったに等しいその返事を超える喜びは今まで一度たりとも体験したことはなかった。

それから数日後、社長さんから事務所にきて欲しいとの連絡があった。名古屋市栄の一等地にたつビルの一室。私は専属契約の話をもらった。第二関門突破。私にとってメリットしかない契約内容だった。自分で営業して提供して欲しい人を探すのではなく、事務所に所属している人をプロデュースすることに専念して欲しいとのことであった。肩書きは音楽プロデューサーだ。事務所から固定給をもらい、著作物の制作と若手アーティストの売り出し手助けをするという業務をこれから行うことになる。

こうして私はプロの音楽家としての第一歩を踏み出したのだ。

暮らし

「無駄なことなんてない」という言葉がある。この言葉はある条件下でなら成り立つが、いつでも言っていい言葉ではないと考えている。今の自分やこれからの自分に必要な経験かどうかを見極めて選択した行動に「無駄なことなんてない」のである。自分の頭で考えて行動することがどれだけ大切なことかを知っていたため、事あるごとに深く考えてどうすべきかを選択してきた。その結果、就活せずに音楽プロデューサーとして、やりたい事で生計を立てる事に成功したのだ。もちろん、安定しているかどうかはわからないが、そんなことはきにするまでも無い。自分の人生の主人公である自分自身が最も楽しいと思う生き方をすることが幸せだと考えているからだ。

かと言って、今の暮らしに満足しているわけでは無い。やっと一つ進んだだけだ。ハングリー精神の元、これからも自分のやりたいことを追求して、主人公であり続けるためにたくさん頭を使って、やりたいことだけをやる人生にしていく。

挑戦

未来がくる。平成も終わる。世代交代だ。日本の音楽が世界の最先端になる日が来る。その先駆者になるのだ。私が火付け役となって、未来の日本の音楽を他のどの国にも負けない素晴らしいものにする。それが私の夢である。夢はあえて大きくしている。そのほうが面白い。常に挑戦し続けるために、今何をすべきかを考える。

あとがき

やっと終わりましたね。長かったですよねw。

自分を語るのは恥ずかしいですが、文章を書く練習も込めてそれっぽくまとめてみました。この文章にあるように、考えて行動しての繰り返しでやっと掴んだ第一歩を無駄にしないようにこれからも頑張って行きたいですね。

あ、私の精神論としてこんな言葉があります。

「最小限頑張る」

この言葉いいですよねw。

「最小限」って言葉は割と肯定的な印象があります。コスパが良い的なね。「頑張る」ってなんだか無理してるような気がしませんか?だからこの二つを組み合わせると調和がとれてちょうど良いんです。

皆さんもぜひ「最小限頑張る」試してみてくださいね。

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