実話「独学の告白」

【独学の告白#5】独学で作詞作曲編曲を身につけて仕事にするまでの過程を綴った実話。

いつの間にか後半戦に突入していましたね。

独学の告白#5

地元静岡県浜松市から離れて名古屋に出るお話です。 まだ前半戦を読んでない方は下のリンクからどうぞっ。

パート1
パート2
パート3
パート4

目次

バイトやめるわ

大学進学と同時に始めた塾講師のアルバイト。ある日突然やめる事を決意しました。自分を追い込むとう言う意味で。

大学4年の夏、名古屋で知り合った超絶技巧を持った同い年のギタリスト。彼はすでに音楽だけで生計を立てていた。とある高校で音楽の授業の外部講師として勤務しながら音楽活動をしていた。音楽活動では曲をメジャーレーベルからリリース済みである。そんな彼から、ライブがあるから見にこないかと誘いが来た。すぐさま「行く」と返事をした。名古屋市内のとあるライブハウスで行われたそのライブが私の闘志に火を点けた。

数名が順番にライブをして行く。ジャンルはアコースティック。皆とても素晴らしい演奏と、歌声で私が今まで出演してきたライブのレベルが如何に低かったかを思い知った。それと同時に、こんな人たちが名古屋にいたのかと、戦い甲斐のある人たちがいたのかと、そう思ったのだった。その出演者の中に超絶技巧の彼もいた。彼と出会った時は彼のソロライブで一緒に出演をしたのだが、彼の歌声とギターの調和は素晴らしいものだったため、それがまた見られるかと期待していた。しかし、今回のライブでは完全にラップを引き立てる超絶技巧ギターの演奏者として出演していた。それはそれでとても心地のいい音で会場の空気を揺らしていた。

その帰り道。浜松に帰る車の中で、私は決意した。「バイトをやめて名古屋に住む。音楽一本にする。」と。

その夜、すぐにバイト先の教室長にバイトをやめさせてほしいと連絡した。教室長は渋っていた。というのも、4年も続けていたため講師の中のリーダー(教室の運営に関わる仕事もするバイトリーダー)を任されていたたのだった。しかし、そんなことは関係ない。もう私は火がついたのだ。コンビニのバイトも、大学のバイトも全て今月でやめると伝えた。

そうして私の収入はなくなった。

名古屋に住むわ

二人組で活動していた私は、ひとまず相方の家に居候することになった。相方は引っ越して活動が活発になることを喜んでいた。居候も許してくれた。学生の身としては非常に助かった。一ヶ月間の浜松での準備の後、必要な荷物をまとめて家をでた。家族は私がやる時はやる男だと信じてくれていたため、特に何も言わなかった。

名古屋での生活が始まった。上京という言葉が当てはまるかはわからないが、それと同等のことを体験することにナルトは一ヶ月前まではこれっぽっちも思わなかった。火がついたら燃えているうちに行動してしまう方がいい。

そしてある2つの覚悟を心に刻んだ。

1、結果を出すまで浜松に戻らないこと。

2、もう自分の好きじゃないことはしないこと。

2の中にバイトが入っている。

バイトしないわ

名古屋にも系列の塾があったためそこに再びバイトとして雇ってもらうつもりでいた。しかし、なかなか好きではないことをするのには腰が重すぎた。私はなんとかバイトをしなくていいようにならないかと頭をとことん回転させて一つの答えを絞り出した。

楽曲提供で生活しよう。

名古屋に来る前にも楽曲提供を数曲行なっていたが、それを本業にしようと考えたのだ。世間でいう独立というやつだろう。それからの私は死に物狂いで曲を作り、自分の足で営業をした。

自分の出演するライブでは名刺を楽屋で配りまくった。自分のでないライブにも足を運んでイベントの主催者や出演者に名刺を配りまっくった。SNSを使って連絡をし、そこでも営業をかけた。初めは空振りばかりだったが、次第にコツをつかみ出した。月に5〜7曲の依頼を受けることに成功した。それを継続的に続けながら生活をしていた。そんなことをしていたら。

就職しないわ

就職活動はしたくない。就活も大変そうだからしたくない。大学生活の序盤でそれを強く思っていた。普通4年生大学においてそれははみ出し者になることを意味する。

就活は3年生の終わりから4年生の初めにかけて行うのが普通で、4年生の夏までかかる人は就職が危ういとされている。つまり、周囲がお揃いのスーツで会社に自己紹介をしている間、私は家でひたすら音楽制作に没頭し学び、周囲が内定をもらった頃に楽曲提供のビジネスで独立したのだ。

名古屋に移り住んでからはより楽曲提供の仕事を多くこなした。駆け出しのシンガー達に格安で提供するため、儲けはほとんどなかったが、最低限の生活は送ることができた。しかし、来月の依頼が取れなかったらどうなってしまうのかという不安もまた、常につきまとっていた。

そんな不安と戦いながら営業と制作の仕事をしながら、大学に通った。

あとがき

本格的に音楽をやり始めましたね。ビジネスだの独立だの格好いい言葉で書いてみましたが、本当に大したことないんですよ。営業なんてしたことないですから、何から始めていいのかわからないんですよね。なので思いついたことはなんでもやりましたね。名古屋にあるボーカルスクールの先生に仕事を振ってもらったり、イベンターに仕事を振ってもらったりしていました。人と人との繋がりって大切なんですね。そういった人たちの中に現在契約している事務所の関係者がいたわけです。いや〜、どこでどうなるかわからないもんですわ。

さて、次回はついに完結編でございます。ついに音楽プロデューサーという肩書きを手に入れることになります!

6-1専属契約
6-2暮らし
6-3挑戦

こちらの3本立てでお送りいたします。ぜひ最後までお付き合いくださいまし。

-実話「独学の告白」

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