実話「独学の告白」

【独学の告白#4】独学で作詞作曲編曲を身につけて仕事にするまでの過程を綴った実話。

さぁ!やってまいりましたパート4!

独学の告白#4

前回は高校時代の話、今回は大学時代の話で。それではどうぞ!

あ、パート1から読むとこの記事の趣旨をより理解していただけますよ!
リンクはこちらから。
パート1:村脇優の思想とかこの記事の趣旨とか
パート2:中学時代のこと
パート3:高校時代のこと

目次

大学生活とアルバイト

大学は将来保険で入った。言わばお金の無駄遣いなのだ。だから両親からは受験料3万円と入学金20万円を支払ってもらって以降、大学に関するお金はもらっていない。実家に住まわせてもらい、奨学金とバイトの稼ぎで交通費や大学にかかるお金、遊びや音楽にかけるお金を賄った。バイトは多い時には3つやっていた。

一番激しく音楽活動をしていた時の1日を紹介しようと思う。家と大学は1時間半の通学時間が伴うことを覚えておいてほしい。

先ずはコンビニのバイトからだ。実家の近所で大学に行く前の時間に少しだけ働く。朝6時から3時間ほどだ。授業の具合によってはより長く働いたこともあったが、基本3時間だ。職場は実家から歩いて5分の場所にある。シフトが終わると次は大学に向かう。通学の電車の中では図書館や教授から借りた本を読むのがルーティンの一つだった。大学に着くと授業を何個かこなした。その空きコマに情報系の授業のアシスタントとして働いていた。帰りもまた読書だ。電車を降りると家には帰らず、直接塾に向かう。そこで22時まで働く。家に帰るとクタクタですぐに寝てしまう。

こんな生活を送っていた。

1週間の中でこれほど忙しくない日は帰ってきてから作曲したり作った曲に歌詞をつけたり、編曲のやり方を研究したりしていた。次のひの朝に余裕がある日は心置きなく音楽に向き合えた。気づいたら朝だったこともなんどもあった。

音楽活動

2人組のボーカルグループをやっていた。彼との出会いを話す。大学に入ってから、ネットでメンバーを探そうと掲示板に自分のやりたい音楽のジャンル(R&B)と演奏形態(ボーカルグループ)を書き残したところ、京都の某事務所から直接メールがきた。名古屋支部を作るにあたって声がかかった。行ってみるととてもではないが、レベルの高いと思える人はいなかった。その事務所のやり方も気に入らない思いでいたため、もう関わるのをやめようと思っていたところ、事務所から呼ばれていた中の一人から連絡が来た。どうやら私の自作曲を聞いて才能を買ってくれたらしい。後日カラオケに行くことになった。初めて彼の音楽を聴いたが、好みがすこぶる合った。気もよく合う。何もやらずに渋っているよりも、何かやってそれから考えるという時間の使い方の方が好きだった私は、二人でボーカルユニットとして活動したいという旨を述べたところ、彼も同意してくれた。彼は私の自作曲を聞いてその才能を買ってくれた初めての人だった。それからは名古屋を拠点に活動していくことになった。実家から3時間の距離にある都市での活動はとても新鮮なものだった。

楽曲提供

活動して行く中で、私の自作曲を聴いて評価してくれる人が何人もいた。私に曲を描いて欲しいと依頼してくれる人も何人もいた。私も自分の作った曲が誰かに歌われて遠くの誰かに届く可能性を嬉しく感じたため、楽曲提供を始めることにした。そしてそれが後に仕事になっていくのであった。

ジャンルは様々だった。アニソン、ロック、ポップス、ジブリ映画BGM風、R&B、ソウル、ヒップホップ、アイドル向け、ダンスボーカル向け。どの依頼が来ても、断らないようにした。むしろ自分から様々な楽曲を書くことに前向きに活動した。毎回、ライブハウスで楽屋が一緒になった人に、自分が楽曲提供をしていることを伝え続けた。おかげでたくさんのジャンル、たくさんの楽曲を生み出すことができた。よりDTMに対する理解が進み、そうした活動が作曲作業の効率化やクオリティの向上を助けた。そうして自分達に還元した。自分たちが歌う楽曲のクオリティが上がると、自分から声をかけなくても依頼が来るようになった。

名古屋の駆け出しシンガーの界隈では作曲家村脇優の名前が定着して来ていた。どれほど駆け出しのシンガーでも格安で依頼を受けたし、一切手を抜かなかった。全て自分の作曲家としてのスキルを向上させることに繋がることを知っていたからだ。

大学生活と3つのアルバイト、それから楽曲提供の仕事をするようになった。

就職活動

大学3年後半になると周囲が「就活」によって騒がしくなった。つまらない大学がよりつまらなくなった。私は就職活動を一切しなかった。就職活動をしている時間を全て、音楽活動に費やした。大学が設けている就活に関するセミナーは全部欠席した。企業説明会などどこでいつ行われていたのかも知らない。周りの人間がお揃いのスーツに身を包み始めた大学4年の春ころ、私は孤立した。大学にいる時間も音楽に当てるようになっていた。空き時間を見つけてはカバンに忍ばせたパソコンを取り出し、作詞作曲編曲のどれかを行なっていた。周りのことを気にしていたら私は孤立などしていない。他人が何を言おうと、両親がお隣から何を言われようとそんなことは関係なかった。

私はただ、音楽で生きていきたい。

そう心から願うようになっていたのだ。その願いがひたすらに私の心を音楽に向かせ、周囲から孤立してまでも音楽と向き合うことを許した。しかし、生きていくには金が要る。そこで私は考えた。楽曲提供をよりビジネス的に捉えていくことにした。

大学の同級生は企業に就職することを、私は事業を立ち上げることを同じ時期に考えていた。

あとがき

私は昔から孤立気味でした(笑)。一緒になって騒いでいるように見えて、常に少し間合いを取っているタイプです。心を許すことは滅多になく、心の内を奥に秘め、多くを語らないタイプでした。あ、もちろんその場のノリは大切にして、空気を読むことは大切なことだと理解した上で、ですけどね!

私なりの政治で教授も説得して就活しないことを認めてくれたし、両親も認めてくれたし、あとは音楽を真剣にやるだけだというところまで来ましたね!

それでは次回、

5-1バイトやめるわ
5-2名古屋に住むわ
5-3バイトしないわ
5-4就職しないわ

の4本立てでお送りいたします。

お楽しみに!

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