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先の展開が読めてしまう「クリエイターの呪い」と、純粋な「面白い」を取り戻すための創作

Television showing Japanese drama scene with subtitles 「それでも、明日を信じて…」「行こう。」

数多の映画や小説をインプットし続け、かつ自分自身も「作る側」に回ってしまった人間には、ある避けられない「呪い」が降りかかります。

それは、世の中のエンターテインメント作品を純粋に楽しめなくなる、という呪いです。呪いは言い過ぎかもしれませんね。一般的には職業病と言われているそれですが、ここではあえて呪いとしますね。

私は現在、インプットとしてそこそこの数の名作映画やアニメ、小説を摂取しています。以下月平均摂取量です。
・小説:4冊
・アニメ:100話
・映画:15本
・ラジオ:20エピソード

しかし、画面の中で登場人物が涙を流していても、物語が感動的なクライマックスを迎えても、私の心はどこか冷めています。

なぜなら、「このタイミングで悲しいBGMが入るということは、ここで観客を泣かせにきているな」「序盤のあの無意味な会話は、終盤のどんでん返しの伏線だな」と、作品の裏側にある「演出の型」や「構造」が見えてしまうからです。細かいディテールが気になって話が入ってこないこともあります。自身も映像制作をするため、撮影や編集の大変さが思い浮かぶシーンは、物語よりもガワの部分が気になることも多々あります。

物語のプロット、カメラワークの意図、BGMのコード進行。クリエイターとしての解像度が高くなりすぎた結果、作品を「体験」するのではなく、脳内で「分解」するようになってしまいました。

いわゆる「感動ポルノ」と呼ばれるような、お決まりのパターンで感情を誘導しようとする作品に出会うと、感動するどころか「またこの手口か」と飽きを感じてしまいます。これは、手品師が他の手品師のショーを見ても、タネが分かってしまって驚けないのと同じだと思います。

作り手の意図や論理が理解できるからこそ、心が動く前にあれこれ考えてしまう。これが、コンテンツを作る側に回ってしまった人間の悲哀ではないでしょうか。

既存のエンタメにおける「あるあるの展開」や「予定調和の感動」に完全に飽き切ってしまった私が、もう一度、純粋な「面白い」を取り戻すためには、どうすればよかったのか。

たどり着いた答えは、極めてシンプルでした。

「自分を楽しませるためだけの作品を、自分で作る」ということです。

クライアントの要望に応える仕事や、世間のトレンドに合わせたマーケティング的な創作ではありません。「私が今、世界で一番読みたい物語は何か」という純度100%の知的好奇心を満たすためだけに、小説の執筆を始めました。

自分のためだけに書く小説には、大衆にウケるための安易な「感動ポルノ」を仕込む必要がありません。自分が心底面白いと感じる要素だけを緻密に組み上げ、既存のエンタメのセオリーを無視し、私が私自身の予想を裏切るような展開を構築していく。それは、世界で一番厳しい観客である「自分自身」を納得させるための贅沢なゲームです。執筆という制作の過程さえも娯楽になりました。書くこと自体で目的を達成しているのです。完成させたい気持ちはとても強いですが、書くことだけで楽しめているので最悪完成しなくてもいいかなと。

社会との接点を極限まで減らし、交友関係を最小化している私にとって、この「執筆」という行為は単なる趣味ではありません。現実社会のノイズやバグから離れ、フィクションの中に広がる圧倒的に豊かな「情緒」を自ら生み出し、摂取するための生命線なのです。

世の中のコンテンツに飽きてしまったのなら、文句を言うのではなく、自分が一番見たいものを自分で作ればいい。

展開が読めてしまう「クリエイターの呪い」は、見方を変えれば、自分自身の理想の世界を寸分の狂いもなく構築するための「最強の武器」になります。

誰かのためではなく、自分のためだけに作る。その究極の自己満足の果てに生まれたものだけが、結果として、同じように世界に飽きている誰かの心を深く刺すのだと信じています。

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