実話「独学の告白」

【独学の告白#1】独学で作詞作曲編曲を身につけて仕事にするまでの過程を綴った実話。

こんにちは。駆け出し音楽プロデューサーワキワキこと村脇優です。
ワキワキと呼ばれたことは一度もありません!
この度、新しいシリーズ記事を始めます!題しまして・・・・

独学の告白#1

私がどのようにして音楽だけでご飯を食べていけるようになったのかをお話ししていきます。すべて実話です。予定では6記事にまとめるつもりですが、長くなったり短くなったりするかもしれません。

今回の#1では私の思想というか持論というか、そういう根底にあるものをお話ししていければと思います。

音楽だけで生計を立てていきたいと考えている人の参考に少しでも慣れたら嬉しく思います。それでは、読者様の貴重なお時間をいただける感謝ととともに、シリーズ第一弾の開始です。

お楽しみください!

目次

1-1音楽を始めるきっかけ

私は漠然と「音楽で食べていく」と、いつの間にかそう心に決めていた。特にコネがあったわけでもなく、実力があったわけでもなく、だ。

中学1年生、13歳の私はテレビの中のスターたちが観客を沸かせている様子にひたすら魅入っていたのだ。ある日のゴールデンタイムに「ハモネプ」という番組が放送されていた。この番組は大学生までの素人の学生が出場するアカペラの全国大会を放送しているものであった。毎年夏になるとその番組が放送される。私はハモネプが大好きだった。中には自分と近い年齢の人もいた。そんな彼らが顔をくしゃくしゃにしながら一生懸命に練習の成果を披露していたのである。どれも感動した。それも、スターが観客を沸かせていたそれとは全く別の。歌を歌うこと、人が集まって一つの音楽を奏でること、人前に立つことの素晴らしさを初めて知ったのだった。その日以来、私は音楽に取り憑かれてしまった。13歳の夏であった。

1-2音楽は裏切らない

「どんな人間も皆あなたを裏切る可能性を持っているが、音楽は絶対にあなたを裏切らない。」

これは私が持っている根底にある強い思想の一つだ。13歳の少年が思春期を経て成長した先にこのような思想を持つようになったのは2つ理由がある。1つ目の理由は知人の死である。私が当時慕っていた知人が突然この世を去ったのだ。若かった私は裏切られたと思ったのだ。人生を放棄したことは慕っていた私の一方的な気持ちを裏切ることと同じだと。今思えば非常に自己中心的な思考であったと反省する余地が十分ある。2つ目の理由は潜在的な裏切られる恐怖だ。私は怖がりで臆病な性格だった。そのため、裏切られることを怖がって交友関係をむやみに広げていくことをしなかった。死以外に人に裏切られた経験は誰しもあるだろう。その一つ一つを鮮明に思い出してしまうほど出来事をトラウマにしてしまう性格だったため、裏切りに対して元々敏感であった。評価されることに対しても、そのさきに裏切りが潜むことを懸念して素直に受け入れることができずにいた。

そんな中で私は音楽に出会い、自ら音楽を作り出す喜びを知っていった。そして、いつしか私の音楽を評価する人間に出会った。それは私自身を評価したわけではなく、私が作り出したモノを評価したのであった。間接的に評価された私は、裏切りを恐れることなく評価を受け入れることができたのだ。これは大きな進歩であった。私の精神は音楽があると丈夫になる。それに音楽自体は意思を持たず、裏切ることは決してないのだ。

こうして生まれたのが私の思想である。今でも不安になる場面や心が揺らぐ場面ではこの言葉を自分に向けて暗唱するのだ。

1-3自由に対する価値観

自由に対する価値観は人それぞれだ。中には自由は自分がしたいことをする時間をさすが、自分に縛られているから本当に自由とは言えない、とまで言う人がいる。しかし、私はそこまで深くは考えていない。私の自由に対する価値観は非常に簡単だ。それは、

「肯定的な感情」

である。楽しいこと、好きなこと、面白いことをする。これこそが自由ではないだろうか。プラスの感情を汲み取り、マイナスの感情を排除する。時間に縛られようが、誰かに制限を受けようが、お金がなかろうが、楽しいことや好きなこと、面白いことができればそれは自由である。それが私の自由に対する価値観である。

1-4初めての作曲

私が音楽を興味を持った13歳のその冬、私はニンテンドーDSiを両親に買ってもらって喜んでいた。私の家庭は世間的には中流以下の貧乏な世帯に所属していた。そのため、母の子供時代のゲーム機や祖父のパソコンを借りて一人遊びをしていた。そこに突然自分専用機が提供されたのだ。弾けるような嬉しさで包まれた。今でも鮮明に思い出すことができる。

Wi-Fi環境下において拡張性が大きく広がった次世代のゲーム機(インターネットで情報は知っていた)に私は興奮していた。DS内からニンテンドeショプに入店し、様々なゲームを自宅で購入できるのだ。素晴らしい。ショップを徘徊していたある放課後、その中に「リズミックス」という作曲ソフトを見つけた。DTMで使用されるDAWの簡易版だ。私は興味をもち、コンビニにニンテンドーポイントを買いに行った。1000円という総資産のほとんどをつぎ込み、800円で「リズミックス」を購入したのだ。残りの200円でくだらないゲームも一緒に購入した。

その日から私の編曲家としてのキャリアがスタートした。初めて打ち込んだ曲は「想い出がいっぱい / H2O」だ。学年末の行事に全校合唱があり、その楽譜が配布されていたのだ。楽譜をそのまま打ち込んでみた。操作方法はこの時に全て理解した。音色や再生速度、ドラムパターンを変更すると見事に曲の印象が変化するのだ。これほど面白いことは他になかった。学校で巻き起こる事件や習い事で体験できることの何倍も楽しいと思った。「リズミックス」にのめり込んだ私は、持っている楽譜を全て打ち込んだ。持っていた楽譜の打ち込みが終わると次の楽譜を求めて音楽の授業後、担当教諭に訪ねた。そうこうして音楽の作り方の初心を独学で学んだ私は、いよいよ初めて自分の楽曲を作ってみようと思い立ったのだ。初めて作った曲に歌詞はなく、メロディーだけのものだった。調もスケールも知らない子供がセンスだけで1曲作り上げてみせたのだ。私は編曲家に加えて、作曲家になった。14歳だった。

あとがき

いかがでしたでしょうか。こうして客観的に見ると、私の子供時代は少しませていますね。ムカつく子供です。外で遊ぶこともありましたが、私が住んでいた学校から遠い町に子供は少なく、ほとんど祖父のパソコンをいじりまくっていましたね(笑)。たまにゲームもしていました。まぁこんな感じでふわっと音楽の道に入っていくのです。

ちなみに、中学の部活は美術部でした。小学生の頃に絵の才能が開花し(大したことないですが)市から賞をいくつかいただきました。習い事は空手をしていました。かなり本気でやってましたので、部活は文化部ですね。いますよねそういう人(笑)。

次回#2では以下のことをお話しする予定です。

2-1習い事
2-2初めての作詞
2-3思春期
2-4高校進学

ぜひ次回もお読みくださいな。

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