音楽家の村脇優です。
今回は
物事の判断は”愛”に任せよう
と言うテーマでお話ししていきます。
ぜひ最後までご覧ください!
目次
武士の決闘
ある所に二人の武士がいました。
二人は決闘をしていました。
それぞれが刀を構え、互いに好きを狙って睨み合っていました。
そこに1匹の蝶がヒラヒラとやってきました。
蝶は右の武士の刀のさきに止まりました。
一瞬気が緩んだすきに左の武士は右の武士に斬りかかりました。
右の武士は決闘に破れてしまいました。
こんなお話を想像しながら物事の判断についてお話ししていきます。
同じ対象物でも人によって見え方が違う
負けた右の武士にとって蝶は敗因ですが、勝った左の武士にとって蝶は勝因です。1匹の蝶(同じ対象物)はそれぞれ二人の目には正反対の物に見えているのです。
このように物事には1つの事象でも見る人がどのような立場に居るのかによって「善悪」が極端に別れることがあるのです。
このような事象は日常生活の中にたくさん出てきます。
ある人にとって90点のテストは好成績であり、ある人にとっては勉強不足を示す物であるのです。
善悪の判断
私たちが生活を送る中で、全ての物事は細かい2択で進んでいきます。
朝8:00に起きるか起きないか。朝ごはんを食べるか食べないか。会社をやめるかやめないか。右を歩くか歩かないか。チャレンジするかしないか。嫌と思うか思わないか。
1日の生活の中で何度も出現する2択問題を正解もわからないまま選び進んでいかなければならないのが私たちです。
皆さんはこの判断を「善悪」によって行っているのではないでしょうか。
自分にとって善をもたらすのか悪をもたらすのか。想像力によってその答えにより近い方を選択しているのではないでしょうか。
しかしながら、時間が一方にしか進まないこの三次元空間では、その選択があっていたか間違っていたかを一度に2つの事象を起こして確認することはできません。
愛による判断
そこで私がお勧めするのが”愛”による判断です。
武士の決闘の話に時を戻して見てください。「善悪」で蝶の判断をした場合は以下のようになります。
・蝶によって決闘に勝利→蝶は善
・蝶によって決闘に敗北→蝶は悪
このような構図になります。
では”愛”による判断はどのような格好になるでしょうか。もし二人の武士の間に相手に対する”愛”があった場合です。
・蝶による勝利→嬉しくない(実力勝負ではないため)
・蝶による敗北→運がなかった(本当の強者は運を持ち合わせている)
蝶への善悪ではなく、判断の矛先が自分の実力や運へと変化するのです。(愛は人それぞれ価値観が違うため、あくまでも例として)
このように同じ対象物を善悪を分けて見てしまうのではなく、愛を持って対面すれば別の見方をすることができるのです。
まとめ
煩悩過多の現代社会において、愛は必要不可欠です。もっともっと人間は愛を強く持たなければなりません。善悪や損益だけで物事を判断しているから、自体はますます深刻になっていくのです。人間全ての平和を全人類が願い行動すれば、愛のある社会は作ることができるはずです。
今の日本には「はみ出し者を徹底的に叩く」文化や、「まずは批判する」文化、「批判に便乗していい」文化が蔓延っています。これらは全て善悪の判断による答えの出し方による文化です。この視点を”愛”に変えることが今最も優先すべきことの一つと言えます。
愛を持って生きよう。