生きている中でどういう訳か「勝ちたい!」と思ってしまう場面があります。
パッと思いつくものでは対戦ゲームやテストの点数、年収などが挙げられますが、今回注目したい勝ちたい場面は「他者との会話」です。
私の方が優れている、私の方が頭がいい、私の方が生活レベルが高い、私の方が話のツボがわかるなど、さまざまな形で「勝ちたい!」は現れます。
頭では勝ったからといってどうにもならないことはわかっていますが、なぜか勝ちに拘ってしまう性分がどうやら私には備わっているみたいです。
他者との会話では自分の「勝ちたい!」も去ることながら、相手からも「勝ちたい!」を感じることが多々あります。
私も去ることながら、私以外にも勝ちたい性分が備わっているみたいです。
ある日「勝ちたい!」はどこから湧き出てくるのか、じっくり考えてみました。
自分の感情に質問をたくさん投げかけていくうちに、「勝ちたい!」は「舐められたくない!」と同意であることが次第にわかってきました。
私は私のことを正しく評価してほしい、実力よりも低く見られたくないと思っていたみたいです。
無意識に働いた思いが表出する時には「勝ちたい!」のシンプルな状態に変換されていたみたいです。
でも冷静に考えてみてくださいよ。
私が他者に対して正しい判断ができたことがあったでしょうか。
そもそも正しい判断とはいったい?……
段々と「勝ちたい!」は私の中から姿を消していきました。
正しい判断をしてもらえなくても、舐められてままでも、そんなことどちらでもよくなりました。
そして勝ちたい人がいたら、勝ちを譲るようになっていきました。
会話から勝ちたい感情を差し引くことは、摩擦を減らすのではないかと思います。
私の心は勝ちたかった時よりも幾分か楽になりました。
相手も勝てて気持ちが良いし、私も摩擦がなくて気持ちが良いです。
互いに勝ちたい性分を持たずにぬるぬると会話がしたいなと、そう思う今日この頃です。