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コロナで日本の音楽文化が衰退すると起こること

今回は

コロナで日本の音楽文化が衰退すると起こること

と言うテーマでお話ししていきます。

ぜひ最後までご覧ください!

目次

音楽文化は革命を起こす可能性を常に秘めている

音楽は3つの芸術(音楽、絵画や彫刻など、舞台)の中で最も一般的で社会生活に普及していると言えます。皆さんご存知の通り、音楽がある世の中が当たり前です。かべに絵を飾っていない家庭、オペラやミュージカルとは無縁な生活を送る家庭はそこそこありますが、音楽を聞かない家庭はとても稀です。川に水が流れる当たり前さと同様に、テレビさえあれば音楽が聞こえてきます。

この"当たり前"こそ、革命を起こす可能性を秘めているのです。支配者側は常に反乱や革命を恐れているのではないでしょうか。例えば、江戸幕府は反乱を起こしそうな氏族を江戸から遠くに配置しました。

もし江戸時代にネットがあって、反乱を企む氏族たちにだけわかる暗号が隠された音楽が意図的に大ヒットしたら、どれほど離れていても氏族たちは暗号を解読して反乱を起こすことが可能だったのではないでしょうか。

ネットがある現代ならそれが起こせてしまうのです。

要するに、『文化革命』です。日本には「出る杭はうつ」「長いものには巻かれる」文化が根強く残っています。正直この二つは人間文化成長において不必要だと私は思います。そうは言っても、これらの文化は革命によってしか変わらないのではないかとも思っています。

このコロナ禍でも同様です。本当のことを見つけ出す思考力のある人が少なすぎるが故に、買い占めや転売などの「クソみたいなこと!」が起こるのです。

思考力のある人を増やすにはもはや『文化革命』以外に残された道はないのではないかとも思っています。人々の生活に近い音楽文化は『文化革命』を起こす可能性を秘めているのです。

 

コロナで文化革命ムーブメントの芽が摘まれる

コロナ禍はある意味"革命"には絶好のチャンスです。例えば政府は「新しい生活様式」としてマスコミを利用することで"革命"を柔らかく伝えています。(報道の自由においてマスコミが政府から独立していないのも問題ですが、、、この話は長くなるのでまた別の機会に)「外出時は少人数でマスクをつける」文化を国全体に普及する行為こそ、"革命"です。

それはさておき、コロナのおかげで音楽イベントがたくさんなくなりました。武漢で流行り始めた時に私は察しました。「仕事なくなるな」と。実際に関わっていた大規模イベントは延期の延期です。いつできるかわかりません。帯でやっていた主催ライブもなくなりました。そもそもニュースでライブハウスが叩かれて、イベントが叩かれて、同調圧力の強力な文化の下では大きなイベントをここから新たに行うことは実質不可能になってしまったのです。

これは"文化革命ムーブメントの芽が摘まれる"ことを意味しています。政府がやってる新生活様式革命も合間って、『文化革命』の芽がどんどん摘まれていく未来が予想できます。

 

政府の政策はまさに芽を摘む政策そのもの

政府はもしかしたら『文化革命』にビビっているのかもしれません。

今の日本を見ていると、"思考停止民族たちの国"なる言葉がぴったり当てはまってしまう気がします。私もこの国の一因として自分で言っておきながら残念でなりません。反対にこれは国にとってはとても都合が良いとも考えられます。

国がどのような政策をしても、思考力の低い国民はその政策が愚策であっても反乱を起こしたりはしないでしょう。愚策であることに気づきませんし、そもそも政治に興味がありません。大規模なデモも起こりません。

これは残念ながら現実で起こっている事実で間違いありません。ここ最近の政策、コロナ禍の裏で進めている法案、どちらを見ても売国でしかないと私は思います。"思考停止民族国会"であることをいいことに、好き放題やっているようにしか見えません。この文を読んで「陰謀論者的だな」とか「そんなことして誰が得するのさ」とか思った人、それがまさに思考停止している証拠です。思考力があれば、コロナ禍の裏で進めている法案が何なのかすぐに調べるはずです。そして何を目的としてこのように進んでいるのかも次第にわかるはずなんです。そのうち政治に対して興味が湧き始めるのでは無いでしょうか。

そして、この状況を打破できる可能性の低さに絶望するのでは無いでしょうか。

もし政府が国民の思考停止にかこつけて、売国を進めているとしたら『文化革命』にビビって「新生活様式革命」で先手を打っているとも受け取れますよね。まさにビビっている状況です。

大人数の集会をやめさせたり、ライブイベントをやめさせたりすれば音楽文化は次第に衰退していきます。いくらネットが整備されていようと、音楽は人と人との交流がエネルギーを産むわけですから、ネット世界での交流は現実世界での交流より劣ってしまうと考えています。

音楽文化が衰退して行けば、この時代を嘆くような音楽や、まっすぐな政府批判の音楽、正しいことを正しいと言い間違いは間違いと言う音楽、国民が団結する音楽はなかなか生まれなくなります。そして、もしそれを聞いたとしても思考力の低い国民ではただ繋がった音たちとしか捉えられないのです。

音楽にメッセージを秘めるミュージシャンも減り、秘められたメッセージを受け取ることがでいる人が減り、『文化革命』は遠ざかっていくのです。

今の政府の政策はまさに芽を摘む政策そのものなのです。

 

どのようにして『文化革命』が起こるのか

嘆いているだけで、じゃあどうやってとりもどすのよ!

そうもう一人の自分が私に疑念を投げかけてきます。

正直今の所これと言って力強い明確なやり方を思いつけているわけではありません。ぼんやりと見える『文化革命』が起こったそのときはきっと数十年のスパンを経てぬるりと変遷するのだと思います。そして私が死に絶えるまでの間に「革命したな」と思えるかどうかも怪しいところです。

人間社会はそれほどまだまだ未熟であると言うことです。

このままでは話が落ちないので、今の所まとまっている具体的な方法を示してみます。

最終目標は『文化革命』です。『文化革命』の中身は「思考力のある人々のいる国家形成」です。国民の思考力があれば、"お金がある人こそ幸せ"と考える「貨幣至上主義的思考」ではなく、"自分が幸せと思えることが幸せ"と考える「自己幸福至上主義的思考」にシフトしていくと予想しています。ひと昔前の"チームで一丸となるために個人の主張は抑えがちな風潮"から"個人のやり方や思想を尊重することを優先する風潮"がそれを助長しています。簡単に言うとホワイト企業化がそれです。

では「自己幸福」とは何なのかですが、これは自分で自由に決めて良いのです。「貨幣至上主義的思考」では"誰かが作り出したお金と言う名の「数字の虚構」を多く持っており、それをたくさん使うことが幸せ"でした。これは与えられた幸福です。「自由幸福」は自発的に幸福とは何かを決めて良いのです。与えられた幸福などクソです。

つまり、「思考力を高めて自分にとっての幸福とは何かを思慮深く考察し、それを求めて行動することができる人たちがいる国の文化」を目指せたら良いのです。それをさせない政府がいるのであれば、思考力を持ってして、どのようにすれば良いのかを考え行動し、幸せに近づけるようにするのです。

これは国民の根本となる部分を変革しなければならないため、一筋縄では行かないことは決まりきっています。簡単に説明すると次のようになります。今の日本人は「お金教」の宗教団体の一因です。もちろん信じるのは「お金」です。それを「幸せ教」の教徒に変えさせるのです。これを『文化革命』と言います。

それから、音楽を聞き本を読むのです。そして様々なことを考え、自分を考え、幸せになる勇気を持つのです。

それが「幸せ教」に入信する第一歩なのです。

 

まとめ

コロナで日本の音楽文化が衰退すると起こること。それは『文化革命』の芽が積まれることです。日本はこの先必ず滅びます。それを止めるには『文化革命』しか方法がありません。しかしその最後の手段ですら今風前の灯なのです。もしもあなたの幸せが「人類愛」であるのなら、人間の未来のために行動してはいただけないでしょうか。

 

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