読了目安:約7分
デザインの提案をするとき、私はいつも同じ作り方をします。まず一番ゴテゴテに詰め込んだ案を作って、そこから段階的に引き算していく。最終的に3〜4パターン、情報量が多い順に並べて提出します。自分の中で一番自信があるのは、当然、一番削ぎ落とした最後の案です。
結果は、だいたい決まっています。選ばれるのは、一番文字がデカくて、一番世の中のありふれたデザインに埋もれてしまいそうな、最初の詰め込み案です。
正直、これには何度も不服を感じてきました。「一番無いな」と自分の中で思っていたものが、クライアントには一番喜ばれる。自分の審美眼を全否定されているような気分になることもありました。それでも、クライアントが喜んでいるならまあいいか、と自分を納得させて納品する。この繰り返しです。
音楽でも似たようなことが起こります。音数を減らしたアレンジを聴かせると、「スカスカに感じる」「もっと厚みが欲しい」と言われる。私としてはそこに侘び寂びを込めているつもりなのですが、伝わらないことが多いです。
私は昔から、余白の多いデザインや、音数の少ない楽曲をたくさん聴いたり見たりしてきました。だから「絶対にこっちの方が魅力的だ」という確証めいたものが、自分の中にはあります。それなのに、実際に人に選ばせると真逆の結果が出る。この落差に、正直まだ折り合いがついていません。
なぜこんなことが起きるのか、少し考えてみました。
一つ思うのは、情報量の多さが「ちゃんと仕事をしてくれた感」の代わりに機能しているということです。依頼した側からすると、要素が少ないデザインは、手を抜かれたように見えるリスクがあります。逆に、要素を詰め込んだ案は「ここまでやってくれた」という安心感を与えます。これは出来上がりの良し悪しとは別の、発注者の不安を埋める機能です。
もう一つは、引き算の良さを読み取るには、ある種の予備知識や比較経験が必要だということです。私は余白の効いたデザインを大量に見てきているので、その少なさの中にある意図を読み取れます。でも、そうした経験値が無い人からすると、余白はただの「情報の欠如」にしか見えません。良し悪しの判断基準そのものが、見る側の蓄積に依存しているのだと思います。
あとは単純に、リスク回避だとも思います。情報を削れば削るほど、「あれが載っていない」という指摘を受けるリスクが上がります。詰め込んでおけば、少なくとも「言った内容は全部入っている」という言い訳が立ちます。発注者にとって、情報を削るという判断は、実は結構な勇気がいる決断なのかもしれません。
ここまで理屈をつけてはみたものの、正直まだ完全には納得できていません。自分が良いと思うものと、選ばれるものが違う。これは今後もずっと付き合っていく悩みなんだろうな、という気がしています。
